プロボディーボーダー甲地 由美恵さんは、1975年、2歳の時、両耳の聴力を失い、3歳で初めてリオネット補聴器に出会った彼女が2006年、プロボディーボーダー甲地由美恵としてリオネット補聴器とスポンサー契約を結びました。
リオネット補聴器を通して甲地由美恵さんの存在を知った私は、これから補聴器を使うお子様、その家族の方、もちろん補聴器を使っていない全ての方にも甲地由美恵さんを知っていただきたいと思います。
※お知らせ
2009年7月、甲地由美恵さんはWDSAハワイ大会にて準優勝をかざりました。甲地さんはこの大会を最後にプロ生活にピリオドを打ち、
今後は「YUMIE」(ユミエ)の名前で「ボディ−ボードインストラクター」兼「メンタルトレーナー」として活動されます。
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長井メガネ
あわじ補聴器センター
甲地由美恵さん
応援ページ
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甲地由美恵
私自身について
ボディーボードと出会ってから16年がたちます。まだ何もわかっていない、それでいて一人で何かをする勇気もなく、
決断力もなかった私が、プロボディーボーダーになって得たものは、潮の動き、うねりの来る方向、風の動き方、
母なる大自然の海の教え、そこから世界中に広がっていく友達。
ホームページを開設してからは毎日、日本中の人たちと会話。
それらはまだまだ果てしなく広がっていきます。
私は聴覚障害というハンデを持っていますが、海は人種差別も無く、全ての人に平等で、厳しくもあり、やさしくもあります。
だからハンデなんか関係なく、全ての人が感動し、嫌な事も、悲しい事も普通の人と同じように経験できる場所
なのだと、私は思っています。
ボディーボードとは、ビート板を大きくしたようなもので、サーフィンのようにボードの上に立つのではなく、足にヒレをつけて腹ばい
になって波に乗るものです。
競技になると、波の上で回ってみたり、上に下に動いて崩れてくる波の中を回りながら飛び出してくるといった技があります。
そういった技の高さや速さを競い、4人15分ヒートで戦います。15の中でいい波を捕らえて点数の高かった
選手2人だけが勝ちあがりラウンドを駆け上がっていくという大会形式です。
中には選手間の妨害や、波の優先権などもあって、壮絶な駆け引きが必要になってきます。
ボディーボードの大会は、国内、世界、また聴覚障害者だけで行われる世界聾唖者サーフィン大会という大きな企画 もあります。
私はそれら全てに挑戦し、日本は勿論、世界のランキングに名前を残す事が夢でした。
私をサポートしてくれている会社のおかげでその夢を実現できたのです。
「IBA世界ランキング12位。日本人最高位」これは私にとっては最高の自己実現です。
スポンサーの皆さんがチャンスを与えてくれたのです。
16年前の私が世界に飛び出して、世界の選手と戦うことなんて思いもよりませんでした。
私一人の力ではここまでこられなかったはずです。
私がここまでこられたのは、家族、夫、サポートしてくれている方々、スポンサーの方々、応援してくれている世界中の
友達のおかげだと思っています。
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『Dream
in your hand』
私の姉が教えてくれた言葉です。夢はいつだって私自身の中にあるということです。
それは全ての人の中にあり、誰だってっもっているもので、それを叶えるのは 私自身の、
あなた自身の手で、自らやり遂げる事。そういう事を言っているのではないかと思います。
そして、ハンデを持っていても夢は叶えられる。普通の人より道は遠くても絶対にできるん
だっていう事、そして世界中の人々に夢と希望を、海と私を通して伝えていきたいと思います。
夢は大きく。可能性を無限大に。私はどんどん大きくなっていきます。
もし共鳴していただければとても嬉しく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
2007年 甲地 由美恵
←耳掛け補聴器を使う甲地由美恵さん。
甲地由美恵さんは ブルーのイヤモールド。 |
甲地由美恵 補聴器を使うことについて
ホームページを開設して以来、多くの方からメールを頂くようになりました。あったことも無い方から応援メッセージを
頂いたりすると、ホームページを開設してよかったなぁとしみじみ思います。
ところでそんなメールに混じって、難聴者の方やそのご家族から「甲地さんは難聴者なのに、どうして健聴者の世界で
生き生きと活動できるのですか。」などというメールが舞い込んできます。
そんなとき「なるべく補聴器をつけて健聴者の輪の中へと入っていき、頑張ってコミュニケーションをとって下さい。
正しいコミュニケーションさえとれれば、難聴者と健聴者の差はほとんど無いと思います。」と答えています。
私は小さい時、補聴器をつけることが大嫌いでした。けれども母は大変厳しい人でした。
私が嫌がって補聴器を取ると、母がいちいちそれに気付いて補聴器をつけ、また外してつけて・・・の繰り返しでした。
しかし母は、どんなに私が嫌がっても、決して諦めず、私に補聴器をつけ続けました。補聴器をつけずに、手話で難聴者と
だけやりとりする生活は、静かで平和で、傷つくことのない世界かもしれません。
私にメールを送ってくる難聴者のお母さんの中にも「自分の子供には無理して補聴器を使わせず、聾唖の世界で生きて
いかせた方がよい」とおっしゃる方もいます。
けれども私の場合は、母の努力がなければ、こんなふうに話すこともできなかったし、プロボディーボーダーにもなって
なかったと思っています。補聴器をつけることで私の人生は大きく変わったのです。
今になって振り返ると「あの時補聴器をつけて本当によかった。あのときに無理をしてでも補聴器をつけさせてくれて ありがとう」 と心から思います。
子供ってすごく純粋だから、耳に音が入ってきたら、自然に受け入れ、何の違和感もなく聴き入るものだと思うのです。
お子さんは自分の思で選べない。だからこそ、無理をしてでも補聴器をつけて、音を聴くことにトライしてほしいのです。
そして音を聴くということを経験した上で、補聴器をつけるかつけないかは本人に選択してほしいのです。
私は、今、補聴器をつける事によって、たくさんの発見や喜びを得ました。
わずかな聴力でも「聴くことができてよかった」、そう思うのです。
もしも小さい時に補聴器をつけていなかったら、大人になって補聴器をつけなかったかもしれません。
私が20歳になったとき、私の両親に人工内耳の手術を勧められました。私が補聴器を使うことを不便なのではないかと思っての提案だったのでしょう。反対に私は驚きました。
子供の頃から補聴器をつけ続けたお陰で、補聴器がだんだん習慣化していき、今では「私の耳」そのものになっていたからです。もちろん手術はうけませんでした。「補聴器の耳」で十分満足していたからです。もしも私に子供が生まれた時、その子の耳が聞こえないと分かっても、何の不安もなく育てられると思っています。
それは、私には補聴器があるからです。
シンプルに「耳が聞こえないなら、聞かせてあげよう」と、ただ補聴器をつけてあげればいいのです。
難聴者のご家族の方にも、是非、そのようにシンプルに補聴器を受け入れてほしいとおもいます。 |
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プロボディーボーダー甲地由美恵さんプロフィール
1975年 堀(旧姓)由美恵 10月4日 東京都大田区にて誕生
1975年 2歳で両耳の聴力を失う。
1976年 3歳でリオネットセンターにて初めてリオネット補聴器に出会う
1979年 大田区立久原小学校入学(低学年の午後のみ、障害学級に通う)
1985年 大田区立久原小学校卒業
1988年 大田区立大森第十中学校卒業
1991年 私立東京高等学校卒業
1991年 伊豆白浜で住み込みのバイトをして、ボディーボードと出会う
1994年 インテリアカレッジオブアーツ専門学校卒業
1994年 小笠原父島で、住み込んでの修行
1995年 八丈島での修行
1998年 千葉県東浪見のアーゴクラブハウスに移り、さらなる経験を積む
2002年 千葉県一宮町を拠点とする
2006年 リオン(株)とスポンサー契約を結ぶ
2007年 現在に至る
プロボディーボーダー甲地由美恵さん競技成績
1994年 東京一区3位
1998年 千葉東支部6位
2000年 パリOMツアー ガルーダカップ4位
2001年 GOB富士子メモリアル ターチーカップ9位
2003年 JOBプロテスト合格
JOBプロランキング35位
2004年 AWBパイプラインコンテスト クウォーターファイナル進出
JOBプロランキング26位
2005年 世界初のWDSAオーストラリア大会にて優勝
JOB第一戦田原カップ9位
JOBプロランキング17位
2006年 T&C surf womens pipeline pro 9位入賞(ハワイノースシェアー)
INGLESPRO 9位入賞(オーストラリア サーファーズパラダイス)
2007年 TV「情熱大陸」出演。
2007年 モスト インスパイレーション賞(感動賞)受賞。
ハワイ Cholo's Women's Pipeline Pro 5位入賞
甲地由美恵さん現在IBA世界ランキング13位(日本人最高位、2008年現在) |
甲地由美恵プロ
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現在、甲地由美恵さんが出演するリオネット補聴器のCMが放送中です。
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防水補聴器キャンペーン中
現在リオネット防水補聴器キャンペーンを行っています。
甲地由美恵さんも使っている防水補聴器をお求めいただくと
素敵な防水補聴器収納ケースをプレゼントしています。 |
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リオネット補聴器×甲地由美恵防水補聴器キャンペーン
キャンペーン期間中、防水型耳穴補聴器をご購入の方に携帯ケース“甲地由美恵モデル”を差し上げます。 |
←Yumieモデル・甲地由美恵さんケース |
※甲地由美恵モデルのケースが付く防水補聴器キャンペーンは終了しております。
新しい甲地由美恵さんの本が発売中。
甲地由美恵 「聞こえなくても私は負けない」
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甲地由美恵 「聞こえなくても私は負けない」
私は信じている
本当は私達人間は、諦めなければ夢は叶う、ということを。
悲しさの裏側にはいっぱいチャンスがつまっているということを。
むしろ悲しいときにこそ、チャンスをつかむ瞬間があるのかも知れない。
だから幸せなときよりは、辛いときのほうが成長できることもある。
これは、もしかしたら「聞こえない」ことで、私は気づくことが出来たのかも
しれません。
そして、それを伝えていくために、耳がきこえなくなったのかもしれない。
「人の声を心で聴け。そして誰かを助けてやれ。そうすれば
お前は必ず幸せになる。 」
そういうことなのかな・・・・おじいちゃん。
(あとがきより)
甲地由美恵 「聞こえなくても私は負けない」
発行/発売 角川書店
定価 1400円 |
甲地由美恵さんの本が発売中。
甲地由美恵エッセイ集 「虹を見上げて」
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甲地由美恵エッセイ集 「虹を見上げて」
「しあわせってなに?」
どんなにつらいことがあったとしても、
やまない雨がないように、いつかきっと虹がでるから。
耳が聞こえることよりも波乗りを選んだ、甲地由美恵の物語。
20歳のとき。
どちらかを選ばなければならなかった。
聞こえる人生か、聞こえないけど波乗りのある人生か。
私は、海を選んだ。(プロローグより。)
甲地由美恵エッセイ集 「虹を見上げて」
発行/発売 サンクチュアリ出版
定価 1260円 |
甲地由美恵さん情報。
この夏、甲地由美恵さんのスポンサーであるリオネット補聴器が、日本で開催される世界デフサーフィン選手権大会のメインスポンサーとなりました。
インターナショナルデフサーフィン連盟は、2001年の夏、ワールドデフサーフィン連盟(WDSA)として発足。
その後、国際デフサーフライダーズ連盟(IDSA)へと生まれ変わりました。
今年、 日本デフサーフィン連盟(JDSA)が主催する、世界デフチャンピオンシップ2007がリオネットカップとして開催されます。
前回は2005年にオーストリアで行われ、リオネット補聴器がスポンサーを務める甲地由美恵さんが、ボディーボード部門で優勝しました。プロとなった甲地由美恵さんは、本大会のスタッフとしてリオネットカップに協力しています。
開催日時 サンマリンスタジアム宮崎 平成19年9月21/22/23日の3日間。
参加国 日本・アメリカ・ハワイ・オーストリア・スペイン・ポルトガル・他
尚、22日の16時から甲地由美恵プロ他がボディーボード無料講習を行う予定です。ご希望の方は、本大会当日にリオネット補聴器のブースでお申し込み下さい。(あくまでも予定ですので状況によって変更する場合があります。)
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リオネット防水補聴器を愛用している
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